20年前の他愛もない日常が、かけがえのない大切な時間であった理由

私にとっては20年前の他愛もない日常こそが、かけがえのない大切な時間だったと断言できます。なぜかというとその時があったからこそ、今の幸せな自分がいると思うからです。20年前は私はまだ小学生でした。小学生時代のことをほどほどに勉強し、あとは遊んでさえいれば良いため、そこまで重要な時期ではないという人もいます。しかしそれは違うと思います。小学生時代の過ごし方こそが、将来の自分を決めると言っても過言ではないと思うからです。

小学生時代に虐待を受けたり、両親の離婚などによって心に傷を負ってしまった経験がある人は、心が豊かにならないということが最近わかってきました。中には虐待を受けてきた子供が今度は自分が大人になると、また子供に虐待を加えてしまいやすいとも言われています。それだけ小学生時代が大切だということです。

そんな小学生時代を、私は虐待を受けることも一切なく、両親の離婚もなく、大切にされながら育ちました。そのおかげで現在、心豊かな大人に育つことができたと思っています。つまり特に目立った出来事などはなかったものの、心に傷を負うことなく過ごせた小学生時代の他愛もない日常は実は、かけがえのない大切な時間であったということです。逆に言えば、この小学生時代の他愛もない日常がなかった場合には、現在私は荒んだ心で投げやりな人生を送っていた可能性が高いのです。そのように考えてみても、いかにかけがえのない大切な時間であったかが更によくわかると思います。

そんな私の小学生時代について、もう少し情景などもよくわかるように説明します。両親と祖母と一緒に住んでいました。ありふれた家庭という感じで、特別何かすごいことをしたわけでもありません。けれどもみんなが常に笑顔でした。朝食と夕食は必ず家族全員で一つのテーブルを囲んで食べていました。誰も一切喧嘩をしてしまうこともありませんでした。月に1回の外食と年に1回の旅行という、ありふれた楽しみも本当に楽しいと感じていました。

あのときの通学の道もいまでは

 

わたしの通っていた高校は、田舎の丘の上に建っていた。坂道が急で、自転車通学の学生たちも、わざわざ降りて歩いているほどだった。
新入生などはまずその愚痴をいうことからスクールライフがはじまる。なれている人たちは学生らしい中身のない会話をしながら、坂をのぼっていく。

わたしは一人で通学することが多かったけれど、まわりからきこえてくる何気ない言葉と笑い声を聞いていたらさみしいと感じることはなかった。朝の時間だけなのだろうが、車のとおりも少なくまばらで、乱暴な運転もあまり見ない。通学路に植えられている木々は季節によって色をかえていく。春のサクラと秋の紅葉はみごとなものだが、冬の枯れ木もふぜいがあってすきだった。

今思えばすきだったと思えるといったほうが正しいか。

当時はそうした環境をあまり心地よく思っていなかった。田舎なので山側のほうにはいろいろな病院や自衛隊関係のもろもろがあったり、
なんというか世の中のアクのようなものを押しつけられている感じがして嫌だった。

生徒が事故を起こしただの、サギの被害に合いそうになっただの、ちょっとした事件がおきただけで大騒ぎになってうっとうしかった。それもいまでは自分たちが守られていたのだと感じる。毎日を平凡に過ごしながらいつかはこの街をでてやるんだと考えながら三年間経って、実際そうなった。

東京に出てきてからは、初めのうちは楽しかった。

 

 

文化や芸術は一流のものに出会えるし、テレビや雑誌で紹介された食べ物屋さんなどに、次の日に行ったりすることもできる。
芸能人を街で見つけることも珍しくない。

しかし何年住んでも、自分は異邦人なのだという感覚がぬぐえなかった。いいところはたくさんあるけれど、風光明媚な場所はすべて観光地化されていて、自分たちだけの場所といった感じはない。毎日いれかわる大勢のうちのひとりでしかなく、土地の歴史を過去の人から受け継いでいるわけではない。

過去の記憶を美化しているだけなのだろうか。それを確かめるために今度地元へ帰ったときは、もう一度あの坂道をのぼってみようと考えている。

海外ボランティアの教育活動に参加しました

私は学生の頃から海外に興味があり、将来は外国で生活や仕事がしたいという夢や目標を持っていました。初めての海外旅行は友人の誘いでトルコに行き、その後はアメリカに語学留学に行きました。海外での文化や生活に触れて、世界には様々な人や環境があるのだと感じました。その後は東南アジアをバックパッカー旅行をするようになり、発展途上国の生活や貧しい子供たちの現状を目にしました。日本がいかに恵まれているかを感じると共に、海外の人々を援助できないか考えるようになりました。

海外留学から帰国した後は普通に会社で就職しましたが、いつか海外ボランティアに参加したいと思い、言語の勉強と資金の準備をしていました。知り合った友人に中国人が多かったため、英語と中国語を中心に外国語を学びました。そんな時に中国人の地方の子供たちを援助するボランティア活動があることを知り、関心を持ちました。最初は数週間だけのボランティア活動に参加しました。中国では貧富の差や地域の差が大きく、教育を受けられない子供たちも多くいました。数週間だけでしたが、その活動を通して子供たちがいきいきと勉強をする姿を目にすることができました。

その後は就職先の会社を辞め、海外ボランティアの教育活動に長期で参加することにしました。最初は言語ができる中国で子供たちに教育の機会を与えるボランティアに参加しました。その後は英語と通訳を介して、東南アジアで教育を受ける機会のない子供たちを援助する活動に参加しました。生き生きとした表情で、目をきらきら輝かせながら勉強する子供たちを見ると、日本人の私たちがいかに恵まれた環境で暮らしてきたのかを実感することができました。

今では海外ボランティアに参加して約8年目になります。もちろん経済的な面で十分に計算する必要もありますが、今では援助金も得ることができて、簡素な生活ではありますがボランティアに専念することができています。これからも一人でも多くの子供たちが教育を受けて、安定した生活や人生を送れるように願っています。

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イギリスボランティア留学

 

イギリスのボランティア留学に参加したのは、今から11年前の2003年。30を過ぎて、今しかやりたいことは出来ないと仕事を辞めて、留学の斡旋会社に手続きを依頼。最初の一ヶ月は語学学校に通いながらホームステイをした後、イギリスの地方で障害者施設に住み込みで日常生活のお世話を体験しました。

ボランティアというと、後進国の恵まれない人々に…というイメージがありますが、英国で一年間だけボランティアビザが取得出来ると知り、英語の勉強と国際交流も兼ねて活動が出来ると思い渡英しました。

そこの施設には、日本の他にドイツ、デンマークのボランティアが多くいて、まだ20くらいの若い彼らからヨーロッパの文化や価値観を学ぶことは多かったです。日本の同世代よりもしっかりしている印象でした。また、コミュニケーション能力にも驚きました。日本は沈黙も含めて空気を読むこともありますが、話しを多く持ちながら物事を進めていくのは英語がスムーズにいかないことも手伝って最後まで悩みの種だったように思います。

朝7時くらいから夜の20時位まで休憩を挟みながら障害者の方とアクティビティと呼ばれる様々な活動を一緒にしながらの、週2日のお休みと少しのポケットマネーをいただいて過ごす毎日はあっという間でした。

カルチャーショックとホームシックを繰り返し、日本食は高価で食材も限られていたので、ストレスで10キロ太りました。そんな中で、日本人ボランティア同士支え合いながら辛い事も乗り切り、自国の良さも実感したように感じます。

当初の目的だった英語の勉強は…やはり、語学留学にした方がよかったと思いますが、イギリスの文化や宗教、年中行事などを体験出来たのは一生の思い出です。そして、障害を持った人との関わり方が日本と違い、とても自然だったのが勉強になりました。
ボランティアを通じて、今の生活に活かされていることがあるとすれば、文化や価値観が違う他国の人に出会ったら普通に接して必要なら手を貸すなど以前よりは当たり前になった事でしょうか?

カンボジアでボランティア

私は1年ほどカンボジアで教育に関連したボランティアをしていました。

 

 

多くの人が知っているようにカンボジアは虐殺によって多くの知識人が殺されてしまったため、いまだに教育を受けていない人や字が読めない人も多いのです。そしてカンボジアに来て分かったのは教育を受けていないと、基本的なことを行うのも難しいのです。例えば計画を立てることや、先を考えて行動することなどです。なので、貧しい人は貧しいままですし、境遇は変わらないのが実情です。

そうした点を見て、教育関係のボランティアにつきました。言語を習得する必要がありましたが、言語はボランティアをしつつ子供たちから学ぶ面も多かったです。

特に農村地帯の子供たちは余計な娯楽やテレビなども限られているので、純粋な子供たちと話し合うことは本当に楽しく温かな思いになりました。日本の話や私が体験してきたことなどを話すと、目を輝かせて話を聞いています。鬼ごっこやかんけりなど、簡単にできる日本の遊びを教えて一緒に行うと大喜びします。

大した技術が無い私に教えられることは基礎的なことばかりですが、さらに多くの技術を持った日本人がボランティアとしてこの子供たちを教えられることができるならば、きっと良い国へと進歩を遂げてゆくと思います。

教育関係だけでなくカンボジアでは多くの分野での助けが必要とされています。医療関係の現場は悲惨な状況です。建設関連でもアバウトな作り方ですので、大きなビルなどは外国資本に頼っているのが現状です。電気も停電が多くあり電力不足は毎日のことです。多くの設備は壊れていたり修理が必要でも行えていないものも多くあります。首都のプノンペンを離れるとその傾向は顕著です。

カンボジアでのボランティアには、多くの犠牲が伴うのは事実です。快適な生活を後にしないならば続けることはできません。しかし、この国の状況を自分の目で見るときっと動かされるものがあると思います。ぜひ一度カンボジアをご覧になってみてください。私もまたお金を貯めてカンボジアに行きたいと思っています。

日本語教師アシスタントのボランティア

私は、学生時代の英語の授業のALT(Assistant Language Teacher)が羨ましく思っていました。
私も機会があれば、やってみたいなと思っていたところ、ワーキングホリデーでオーストラリアに行った際ボランティアで出来ると分かり、働けなくなるので、お金を貯めて挑戦することを決めました。
私の場合、高卒で、日本語能力検定も持っていなかったので、信用性も無いことから、個人で探すのは難しく、滞在期間も残り少なかった為、
エージェントに登録し、お金を払ってボランティア先を探してもらい、紹介してもらいました。
体験者の話を読んで分かったことは、楽しい思い出になった方もいれば、驚いたことに、辛かった体験となった方が多い事でした。
辛い経験になった方は、語学力が乏しくコミュニケーションが上手くとれないことからストレスがたまり、さみしい思いをしたことや、勉強しておけば良かったと後悔した事、全員ネイティブの環境から逃げ出すことが出来なくて辛かった、子供達に相手にされなかった、などが多くあげられていました。
体験談の話を読むにつれて、不安を感じました。
けれど、ここまで来たら、後には引き下がれないし、逃げ出せない環境で必死に頑張ろうと思いやってみる事を決意しました。

私の行った学校は、女子校でした。
ありがたいことに、私の感じた不安はすぐに消え去りました。
私の短所の子供っぽい所がいい方向に働き、皆無邪気に仲良くしてくれました。
人見知りな子も中にはいましたが、最後には皆と仲良くなれました。
私は勉強が苦手ながらも、英語を必死に勉強していた事と、皆が私のつたない英語を聞こうと優しく接してくれてたおかげで、英語は伝わりました。
私達が日本で習う英語はアメリカ英語が多いので、私はオーストラリアの発音を真似て話していました。皆喜んでくれました。
オーストラリアは私達が英語を学んでいるように、日本語とドイツ語を学んでいます。日本が好きな生徒も多くいました。
日本ではアイドルだけじゃなく、おじさんがキャラクターになるから凄い、電化製品は素晴らしい!誠実な人が多いといってくれて嬉しかったです。
その一方で、日本の恥にならないように、迷惑かけないようにと、言動と行動には注意しました。
大袈裟かもしれませんが、日本人はこうゆう人だと、私の軽率な行動で思われてしまう事もあるからです。

皆が必死に日本の事を知りたいと私に色々訪ねてくれたり、皆の日本語が上手くなっていくのを間近で感じ、とても嬉しかったです。
ですが、勉強嫌いな私は、聞かれても答えきれない事も多くあり、そんな時はインターネットで調べて答えました。日本人なのに日本の事を知らなさすぎる事を痛感し、反省しました。
皆が知りたいと思ってくれる事がこんなに嬉しく感じるとは、勉強嫌いな私には驚きでしたが、とても嬉しくて、必死な皆に応えようと、私に出来ることはなんでもやりました。なまけぐせのある私がまさかこうなるとは思いもしませんでした。

皆のお陰で、私は日本がもっと好きになり、日本について勉強するようになりました。

正直無償で働くボランティアに今まで興味が無かったのですが、給料をもらう以上に嬉しいこと、仕事以上に学んだ事が多く、充実感や達成感を感じ、気付けば無我夢中で楽しむことが出来ました。ボランティアは素敵だなと思いました。やはりやってみないと、どう感じるのか分からないと思いました。
今でも、この体験は人生で1番素敵な経験です。皆にはいくらお礼を言っても足りないです。やってみて本当に良かったです。

出産祝いを検討して、赤すぐモデルに応募しちゃいました!

あげるばかりでもらうことがなかった結婚祝い・出産祝いですが、
30歳を超えたあたりから職場の病院でも
お祝い事が何かと増え出費が多くなってきました。

 

 

後輩の子が出産したということで
何かプレゼントしようと雑誌を見ていたんです。

モデルの仕事は昔から憧れていましたが、
田舎暮らしだったのでチャレンジすらできなかったので
東京に住んでいる環境のメリットを生かして
娘にベビーモデルを記念に体験させてあげたいなぁと
何気に考えていたせいか、赤すぐを読みながら
同僚の出産祝いを何にしようか検討していたときに
クラージュの募集情報が目に留まってしまったんですよ。

病気に免疫のない赤ちゃんの時期に
お仕事をさせてもいいのかちょっと不安だったので、
いろいろ調べてみると、結構タイミング的もよく
ママがサポートできれば意外と気軽に活動できるんですね。

例えば、

赤すぐモデル体験談 | 赤ちゃんモデル募集ガイド

では、具体的な体験談を紹介してくれていたので
読んだら不安が解消されました。

親バカではありますが、ワタシの子供もかわいいとよく言われるので
赤すぐに載っていた応募用紙でチャレンジしてみたいと思いましたね。

まだ、結果は来ていないけれど忘れたころに連絡があるようなので
気長に待ってみようと思います。

いろんな国の人との出会いで私が学んだこと

私たち家族が最初にボランティアに参加したのは今から6年前になります。
もともと外国に興味があったため友達からすすめられて外国から来られた人のホームスティの受け入れをしたのがきっかけです。
短い期間であれば2泊3日、1週間、1ヶ月とホームスティを受け入れてきました。
ホームスティを受け入れるにあたり家族構成、ペットや写真、軽い自己紹介文を作ります。
そのうえで国際交流の方が合う人を選びお互い合意すると受け入れ開始となります。
私がホームスティを受け入れた中で印象が強いのは一番最初に受け入れた韓国の女の子です。
年齢も近くとても明るい子でした。
その子は2泊3日だったのですが、とても日本語が上手で短い期間にもかかわらずお姉さん、お父さん、お母さんとみんなを家族のように呼んでくれました。
それがとても印象的でその子とは今でも連絡を取り合っています。
他にも1週間ホームスティした台湾の女の子がいました。
その子は私よりも少し若くとても優しい子でした。
食事を作る際も自分から申し出て作ってくれたり、家事をする際も掃除機をかけてくれたり玄関を掃除してくれたりしました。
とても心配りのいい子でたくさんの台湾の話も聞かせてくれました。
その子は台湾に帰ってからすぐ台湾のお菓子など送ってきてくれて今でも仲良くしています。
他には2ヶ月ホームスティしたアメリカの男の子がいました。
彼は最初恥ずかしがりやで私たちから話かけて話すような感じでしたが1週間くらいした頃から積極的に話をしてくれるようになり手伝いもいろいろしてくれました。
私の旦那はすごく人見知りが激しかったのですが、彼に対しては心を開き、二人で遊びに出掛けたりゲームをしたりしていました。
すべてボランティアでお金はいっさい受け取っていません。
しかし、私たち家族はボランティアをした事によってたくさんの事を学んでいます。
他の国の情報もたくさん学びましたし、言葉が通じなくても気持ちがあれば通じ合えるという事も学びました。
世界にはたくさんの人がいてみんないろんな考えを持っています。
もっと他の国の事や人とも出会いたいと思い私は今、週末ワークキャンプやグループワークキャンプにも参加しています。

中央ヨーロッパでのボランティア体験

私の通っていた大学では、毎年国際ボランティアツアーを企画していたので、大学院生の頃、私も一度参加しました。ボランティアの内容は、クロアチアの難民センターで難民の方との交流や、マケドニアで現地の小学生と共に公園の清掃を行うといったものでした。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はたった二十年前の出来事で、未だに行き場のない難民の方が多くいることに衝撃を受けました。付近の住居も、破壊された跡が生々しく残っています。また、セルビア軍に暴行を受けて、心を閉ざしてしまった子供たちも少なくないというお話を伺いました。
とはいえ、センターの方々は皆親切で私たちを温かく迎えてくれました。クロアチア語はわからないので大人とは意思疎通が難しかったのですが、皆で手を繋いでダンスしたり、浴衣や折り紙など日本文化紹介を通して楽しんだりと、心を通わせることができたと思います。ちなみに、子供たちや若い世代は英語が堪能で、主に彼らと話をしました。若者は就学や就職のため、センターを離れる人が多くなってきたそうです。いずれ皆さんがここを離れ、きちんと生活が営めるようになれば良いな、と思いました。
次に訪れたマケドニアでは、現地の小学生たちとお揃いのTシャツを着て、湖沿いにある公園を掃除しました。あまりのゴミの多さに、正直私たちは驚きを隠せませんでした。一瞬ひるんでしまいましたが、子供たちもいることなので協力してごみを集めることにしました。黙々と働く子、お喋りや記念撮影に夢中になる子などそれぞれでしたが、文化や言葉を越えて、一つの目的に向かって力を合わせることができたように思います。終わった後は疲れましたが、同時に清々しい気持ちになりました。
今回の清掃を通して、「外にゴミを捨てないようにしよう」と子供たちが思ってくれるようになればいいなと思いました。実はその後交流会があったそうですが、時間の都合上お流れになってしまったのは残念です。